8月29日、「政教関係を正す会」の役員会、総会、研究会があった。
研究会では國學院大學教授で、帝国憲法と明治の皇室典範の起草に中心的な
役割を果たした井上毅(こわし)の研究がご専門の齊藤智朗氏が、
「近代皇室制度と現代の御代替(みよが)わり」と題して発表された。
その主旨は「明治皇室典範及び登極令を中心に近代皇室制度に基づいて斎行された
大正・昭和両度の御代替わりと、現行の日本国憲法及び皇室典範に基づく平成さらに
令和の御代替わりとの比較を通じて、近代から現代の御代替わりにおける主な変更点等を検証」
する事(同発表のレジュメより)。「主な変更点」をほぼ漏れ無く取り上げた、分かりやすく有益なご発表。
但し、変更そのものへの「評価」には殆ど立ち入られなかった。
そこで質疑応答の時間に(時間の制約もあり)1つだけ質問をした。
大正・昭和の場合、旧典範の明文規定(第11条)に基づき、即位の礼・大嘗祭は「京都」で行われた。
しかし、平成では場所が東京(皇居)に変更され、令和でもそれが踏襲される。
これは重大な変更だ。
それをどう評価されるのか、と。齊藤氏は2点の根拠を挙げて、東京で行われるのを妥当とされた。
1つは、宮内庁がまとめた『平成大礼(たいれい)記録』の記述。そこには、
「(即位の礼については)規模、参列者の範囲、儀式内容、警備上の問題等」
「(大嘗祭については)国務、警備、経費等の面で解決しなければならない諸問題が多く」
京都で行うのは困難で、東京(皇居)で行うのが適当と判断された、と書いてあった。
もう1つは、即位の礼・大嘗祭の皇位継承儀礼としての性格から、首都である東京で行うのが妥当、と。
この回答に対し、私はおよそ以下のような感想を述べた。
今おっしゃった結論には全く賛成だ。
ただ、『大礼記録』にある警備・経費等の問題は枝葉末節ではないか。
即位礼と大嘗祭の歴史的沿革を顧みれば、前近代では“首都”で行われるのが通例だった。
それこそが伝統だ。
皇位継承儀礼としての“重み”を考えれば当然だろう。
都(みやこ)が京都にある時代は京都、その前の奈良時代は平城京で行われた。
従って、明治の典範に“旧都”と言うべき京都で行う事が定められていたのは、
過渡的な規定だったと見るべきではないか。
そうした観点から言えば、平成の即位の礼・大嘗祭が東京で行われたのは、
“本来の姿”を回復したと見るべきだ、と。他にも、令和の場合、即位の礼が行われた後、大嘗祭の斎行までに前例より
少し長めの間隔を空ける(即位の礼が10月22日、大嘗祭が11月14・15日)。
これも、かねて2つの行事の性格の違いから(即位の礼は華やか、大嘗祭は静謐〔せいひつ〕)、
一定の間隔を空けるべき事を、実際に大正の即位礼・大嘗祭に奉仕した民俗学者の柳田国男が唱え、
平成の御代替わりに先立つ時点でも、伊勢の神宮の少宮司であられた幡掛正浩氏がその主張に
耳を傾けるべき事を呼び掛けておられた(今回の発表でも柳田の一文は取り上げていた)。
その訴えが少し実を結んだ形だ。前例から「変更」があると、直ちに嘆かわしい事のように短絡する傾向が、
一部にはあるのではないか。
勿論、そのようなケースもある(大嘗宮の屋根が板葺〔いたぶき〕になる件など)。
しかし、むしろより良くなる場合もある(平成から新しく加わった「祝賀御列〔おんれつ〕の儀など)。
そこは丁寧に目を注ぐ必要があるだろう。【高森明勅公式サイト】
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